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 情報父のこと




朝日新聞に紹介される
         
紅玉収穫間近                   春に咲く、朝陽に輝くりんご花



たわわに…  「樹上完熟リンゴには まだまだ早い」
 
   
 



         リンゴが縁で、お付き合いをいただいて五年・・・・
りんご産業研究 黄孝春さん(弘前大学、人文学部助教授
中国湖北省生まれで84年京都大学に派遣、戦後の日本経済の変容を研究、後、日本に定住。
青森県弘前大学で日本経済論を教えられる傍ら特に青森県リンゴの活路を中国に模索される。
岩木山のふもと。赤い実をたわわにつけたリンゴ畑風景が大好きだと云われる。
国際視点で黄先生がみる農業未来、中国果実の現況と未来論は興味深い・・

 

黄先生から頂いた中国産土産 山参(移山山) 長白山に自生する俗に云う朝鮮人参 鑑定証書正本 珍重とされる
           





     写真、絵添えて 石田良介さん(全国剪画協会会長)から
                             秋の「ニューヨーク画展」間近に忙しそうだった(H16.10/21来)




                      自然の恵み 色も味なり。
               




     創作、タルトタタン 紅玉 H17
           
     「リンデン店作」(宮田村)       香ばしく味が深くて美味しい不思議な仕がり       セルクル店作 りんごパイ    






   素材を尊く 完熟果使用
    
限定「六識園」の「紅玉ジュース」は「小池手造り農産加工場」にお願いしている。

    加工場でどんな産物がどういう形で集まり、どう加工品として生まれ変わるのかが興味深い
    小池加工場は他園のりんごと一緒にしないので安心して依頼できる

                
   
            ふじ1000mmL、      紅玉720mmL 






  古木の尊さ 亡き父のこと
   父は、昭和33年頃から千葉大学園芸学部主催の全国園芸生産物品評会に りんごを出品していた一品種受賞で
   満足することなくあらゆる品種で受賞しなければ作り手として本物ではない」
と云うのが父の持論。名古屋熱田区の
   奥原昭一さんのお話では賞状を雨の日自分の前で外に放り出すほど自己に挑戦的、自惚れない気を持ち続けた人
   だったと振り返って下さる(H18)。「人間は死ぬまで未完成、完成人間はつまらない」がオヤジ流の生き方だった。

   中学生の頃「永澤勝雄」と云う農学博士の名前をよく父から聞かされた。

   今は「千葉大の神様」として尊敬されている人と聞く。
                      
                              紅玉りんご   昭和34年に受賞




                           古家  昭和63年現在の家新築のため姿消す…
                           
         
                         
               父、昭和35年(当時45歳)                農機も限られ農法草生、手作業栽培だった

  昭和30年代、果樹園の消毒作業は動力噴霧器で母が常時較範、父が管柱竿を握り全園を3日以上掛けてのことだった。
  よく噴霧口が詰まり父は大きな声をだしていた。長いホースは母が忙しく手直し駈けずり廻った。
    
  草刈は大変な仕事で小さな鎌を使用、園のどこかで絶えることなく草との戦争の様であった。時々手伝わされた。
  親として子供の面倒を見る暇などある訳が無い。よく頑張られた父母だと思う。 
 
  小学校3年の頃、父は私(昭夫)を連れて二人で伊那大島から飯田線で飯田街内の映画館、常盤劇場へ連れて行ってくれた。
  映画の題は「さくらんぼ大将」で、何故か「つり橋の風景」が心に残る。帰り大島駅から親子で一緒に歩けたことがとても嬉しかった。
               
  高校時代、父と二人で映画「ベンハー」を見に行った。記憶に強い荷馬車の轟音、戦いの場面。
  酒好きの父がその日全く酒を口にしなかった。終戦後養子として静かな果樹園に生掛けた父、男の孤独感か酒に紛れた当時の父の気持ち
  が分るのでお酒飲めばと心に思ったが口に出せなかった。 
 
  21才の時、父は突然私に飯田へオートバイに乗せていくよう口にした。少し父はお酒が入っていた。「メグロオートバイ」に父を乗せての
  運転だった。私がギターの欲しい事を察しての事か、銀座のお店で「一番良いギターを息子に見せてやってほしい」父の買い物だった。
  帰り小雨振る中、ビ二ールの袋に入れてもらったギターを父が背負いその父をオートバイの後ろに乗せて二人びしょびしょで家に帰った。
  無口で優しかった父。父の匂いを感じたあの頃が懐かしい。幸せだった。人の生き方、死ぬまで父の足元にも及ばないことを思う




                         
                 りんごを手に…
                 母に抱かれた(昭夫)時からリンゴに縁あり 昭和21年(左は父のお母さん大草、宮下





                        
           昭和23年 木の脚立        父と母     (昭和34年)手前りんごは「ゴールデンデリシヤス」


              父は紫色を好んだ。りんどうの花が大好き 「山紫水明」の言葉もよく口にした
。。
               「らしくあれは父 50歳の時自己誕生の日、ベニヤ板に書いた。我が家の宝である。



 
                  
              
                     りんご「ゴールデンデリシヤス」
                   昭和35年千葉大学園芸学部全国品評会 果樹部特等賞受賞
                                     農業世界賞受賞





     木に教えられる
           園の歩みに気をとめると、割切って「ただ木が古いから切る処分する」と云う気持にはなかなれない。
           命あるりんごの古木が息耐えるまで見守り見届けてあげたいと思う。
         
         自然の成り立ち、どう手を加えても老木再生できない厳しい余命の現実も知る。
         
仕方ないと覚悟している

                
                 母と、さち                昭和62年撮影 りんご大国光





   H15年、10月27日千葉大学園芸学部の松井弘之先生から紅玉感想を頂いた。 
       何時か松井先生にお会いできると思う
 
                



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