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六識園目次 村を見つめて 写真 りんご 絵画 平成20年 平成19年 愛猫物語


みんな友達、林檎出会い 


のすばらしさ……………
生き方のおもしろさ………
感謝........時間の共有


 
家前から伊那谷遠望  奈良市、高橋芳雄さんから画法「黄金分割」学ぶ。
 92歳の人味、年齢に関係なく健康で楽しい人生を生きる心の置きどころ、魅力、迫力をおもう。 画家の丹羽さんも来。
(H15.春)

 




      リンゴが縁で、お付き合いをいただい・・・・
りんご産業研究 黄孝春さん弘前大学、人文学部助教授
中国湖北省生まれで84年京都大学に派遣、戦後の日本経済の変容を研究、後、日本に定住。
青森県弘前大学で日本経済論を教えられる傍ら特に青森県リンゴの活路を中国に模索される。
岩木山のふもと。赤い実をたわわにつけたリンゴ畑風景が大好きだと云われる。
国際視点で黄先生がみる農業未来、中国果実の現況と未来論は興味深い・・

弘前大学でりんご関係者を集めて中国と日本のりんご産業に関するシンポジュウム開催に使われたもの
(2006)1月1日頂いたPOWER POINT
山東省栖霞市第4回りんご祭りと収穫風景.(準備中)
黄先生は(2006)1月12〜16日中国北京へのりんご輸出のイベントに青森県知事と同行参加された
              
              黄先生                             青森りんご輸出構造の形成




朝日新聞取材受ける
 



目にいっぱいの涙                                         
「人のため、つくす心がそのままに、我が身を守る力なりけり」
八王子お寺山門で見かけた言葉が心離れず未だに広い意味で私の支えになって居ります。
生まれて初めて色づいたりんごが木立にたわわに実っている様を拝見してその奥の深さに頭が下がる思いがして…」
奥さんから頂いた便りから


秋樹見て涙される  目の手術成功して本当に良かったですね (H17 10/26)







みんな仲良し子供たちの元気
 
「村チャレンジ.ゴーゴー探検隊」のみんなが果樹園に散っていった
「.夢の力プロジェクト」はみんな元気で笑顔いっぱいだ。

村「さわやかウオーク」・・・来園

元気の根源 若者の心意気 

ふるさと

伊那谷の山河、山里は空気も澄んで水もよく、中川は車の騒音少なく環境汚染の少ない土地柄だ。しかし過疎化は少子で動く。
人は、自然環境がよいばかりでは満足できない。社会(生活)環境のよい所に人は集まる。
自然と社会の環境が、人の心の環境とどう関係していくのか。
人の心は幼少年期までは自然環境を受け入れ、青壮年期には社会環境に密接、熟年以降はまた自然環境に戻るのか。
人は 若い内は大いに世にはばたき、旅をし、心を広め、後年、心のふるさと的道筋で田舎が生かされれば
それも又それで良いと思う。

村、地域的行事から観ても、心の環境は年ごとに多面的で捕えにくくなる。
若者は社業に昼夜追われるほどに多義だ。地域各種団体など行事企画で若者参加を求め期待する 消防も然り。
従来の概念と現実は遠いところにある。時代の変化、会話を深め現代流生活改善の知恵、創意共生が求められそう。




東京銀座4丁目「酒飯音」「びいどろ亭」ママ、小沢けいさんが三年ぶり五月連休に(H16)訪ねてくれた。
       
防衛大学の心理学教養課講師、いつも家来時、帰の折、仏壇に線香を立てて下さる。私に優しき厳しい人。

人間の心のあり方を教えられたと云う

東大寺の清水公照様(故)に、けいさん

お店三十周年パーティー(ニュー東京.於)記念史 けいさんの「今は亡き人へ贈るラブレター」から
大平元総理
  
                                        A4判

     風の甘さがりんごの実りと一致して  宇宙につづく2000年の夢ーー   六識園にて

           我が家を離れる時、けいさんに書いていただいた即筆 





さん来家
直木賞作家の志茂田さんには、東京銀座4丁目の「ビードロテェー」のお店でお会いした。
「美しい目をされていますね…」の、声掛けをさせて戴いた思い出が残る。
その折 「今この時が出発点」の書と自宅住所のメモを下さった。
「家は信州、緑に囲まれた静かな山処、アルプスがとても美しいので信州へ来られたら是非寄って下さい」…と。

その後、東京都庁に近いホテルでの出版パーティーにも声かけて下さった。
時おいて、駒ヶ根市での講演に来られた折、帰りに奥さんと寄って下さり泊まっていただいた。
優しいお人柄と、自然への眼差し…、深夜まで、いろいろなお話を聞かせていただいて志茂田さんの素顔を魅せられた一夜でした。

記念写真になりました さちの笑顔                       園内 ネクタリンに触れて珍しそう…
又いつでも寄ってください。感謝。





うわーりんごがいっぱい 京都から来園



日本のことが知りたい ホームシティ 上智大学留学生 来家
       
日本の風土や生活や食事のこと、村のこと、日の農業、地域、建物などいっぱいの質問があった。

7月の「どんちゃん村夏祭り」は良い思いでに.
アメリカはテキサス、ジェンモル、チャング君が家に3泊した(両親中国人)(中央) 別れの前夜の食に「セミ」を「天ぷら」にと果樹園を二人で探したが何故か捕れなかった。
将来の目標は「通訳になりたい」「日本に住みたい」
「必ず又来ます」と片言で家来帳に記しての別れだった。     待っているよ B.B  




松川町の松下拡さん
社会教育の指導主事などで全国に活躍される松下さんは油絵を趣味にもたれお付き合いさせていただいている。
分からないことは親切に教えて下さる。
 



日本撰画協会会長 石田良介さん夫妻 来
 電通、ホンダなどのカレンダー製作 「楽しい切り絵」NHK各局にテレビ出演
 著書 「切り絵入門」 「おらがぁ村の昔話」「下町そぞろ歩き」など…

ユーモア、ジョーク、笑顔いっぱい 魅力の先生と先生を支える奥さん
 真っ赤な紅玉に惹かれるらしく毎年顔を魅せてくださる




      蜜蜂の巣でお世話になる 伊那市・長谷の小原さん… 
     冬期、遠い九州まで蜜蜂の巣(50箱)を移動し、春5月信州に戻されるという蜜蜂人生   
 
仲がいいなあ… 小原さん夫妻                       




情報社会を追う加藤晴明さん、来家

加藤さんは中京大学の社会学部メディア文化コース教授 有線放送を縁に永く親しくお付き合いを
させて頂いている。温厚で気取らず多くを語らない。その物静かな中に相手の本音を逃さない先生の厳しさがある。
休日、家での日曜百姓、緑、土に触れての「野菜作りの一時が楽しみ」と電話で聞かせて下さる。
何故かこちらも嬉しくなってくる  (愛知県瀬戸市在住)



加藤先生が御一緒された立命館大学助教授の坂田謙司さんから嬉しい一冊の著書が届いた(H17.3/10)
関西大学大学院総合情報学研究科博士課程での7年間の研究成果を集大成出版されたもので、
中川村有線も写真を添えて放送編でとりあげて下さった。



番組制作の基本は「心をいただくこと。住民一人一人の記憶こそが、村の宝だ」その私への聞き取りも
著に残して下さった。担い手の一人として村人の音の表情が、どっとこみあげてきた。感謝。
これも加藤先生との出会いが有ってのことである。

               
             (有線室でー昭夫)                            (編集室マイクの前で)

はるか昔   有線室での昭夫 机上の原稿さわぎが懐かしい
持ち合わせない能力 ただただ遽しく編集、取材番組制作に追われ続けた日々
今改めて過去の経験はすべて、今の自分につながっていることがわかる。

テーマは再生  今までの自分を「ゼロ」に戻して新たな自分に向けて心動かす。
「思い立った日が吉日」今日の出会いが何かを始めるきっかけになればと思っている。





「 その人の言葉が、自分の中に生きつづけているのは
その人が自分の中に生きつづけていること… 


紅玉りんごの実が果樹園に残りわずかになった秋のある日元伊南農協組合長の気賀澤隆三さんが奥さんとみえて下さった
私が中川有線放送の職を離れ、果樹生産に身を置く現場を、気賀澤さんの目でどうしても見ていただきたくて声をかけさせて頂いたものだ。

有線に勤めた現役の頃、取材先などで気賀澤さんにお会いすると 「おお…元気かい 頑張っているかい…」と、温かiい言葉を
いただいた。その時々の一声が私にはたまらなく嬉しく仕事への励みや陰日向ない気概パワーとなった。
特別数多くお会いした訳でなく、また、お話させていただいた機会も数えるほどなのに、
JAを外から観せて頂いた立場のこの一人間に、心を寄せていただけたこと、素直にお話をさせて頂けた事。
尊敬する人から、目を向けて頂けることが如何に勇気を与えられ、生きる力をいただけることか…。

果樹園に雨降る日 雨上がりまで約4時間、じっくり時を過ごしていただけて本当に良かった。
人は公職任を終えてから後に、本物の人味・心が見えてくるものだと思う

雨上がりリンゴ木を見て下さった


H19 12/20  悲しい……気賀澤隆三さんの訃報元伊南農協組合長
        二ヶ月程前の朝 「年齢には勝てんな、弱くなったよ…」 と電話を頂いた気賀澤さんが、昨日(19日)夕
        突然に病院で亡くなったと連絡を頂いた。 信じられない。残念で悲しい。力が抜けそう…。どうする。
        明日の朝、、自宅にお顔を見せていただく事を腹に決める。
     気賀澤さんの人味が写真にあった。人燃える時自分も勇気が与えられた
       開国的な心、開かれた農協をよく口にされていた。
       種蒔けば芽が出、花咲き実る。経験と感、農業の武器は自然である…と。
                              
12/21  気賀澤隆三さん宅(駒ヶ根)訪ねる(Am8:30 ) 安らかな眠り
       床の間に息子さんが、お顔を拝して下さい「観音さまのようです」と優しく口にされた。
       奥さんが「主人は頑固、豪快に見られたけれど芯根はとても優しく気の付く人でした」「私が外へ一緒に出ることは
       殆ど無く家守ることに努めました」とその内助の努め解放の思いを口にされた。

       既に用意されていた「2008年賀状」が枕もとに寂しい…帆かけ船に乗る姿が写り出されていて新しい世界への船出を思った。
       突然のお別れ。残念で悲しいけれど親しく尊い出会いをいただいて本当に良かったと思う。
12/23 Pm1:00 お別れの式に…気賀澤隆三さんの葬儀
       冬割れの景色の中、梢を鳴らす風の音が何とも寂しく感じた。
       天台宗光善寺住職の、天に召されていくような重いお教のうねりの中に式が始まった。
       正面,中央高段に安置された遺影。メリ張りのあるあの元気な組合長の声が今にも聞こえてきそう。
       「己を忘れて田を利す」「農業、農協に賭けられた情熱」…「開かれた農協」を常として口にされてきた在りし日の組合長。
   
伊南農協組合長当時              有線退職の折 宴席用意して下さった
       息子さんが、式の最後のお礼の言葉の中に述べられた「父から教えられた二つのこと」…その一つは「食事の食べ方」
       二つとして「草の刈り方」、鎌は回数よく砥ぐことの能率性…力を入れるだけでは効は成さずの合理主義者だったと話を結んだ。
       「興起の魂をもって旅立ちました」と父感謝への言葉も加えられた。
       式場を退席する折、玄関ホール遺影に添えられた 「またひとつ花につれゆく命かな」 の色紙、句が心に悲しかった。
                                                                                    (尊重を汚しました)さようなら。




豊橋市西幸町の纏寿司店主、小池勉さんから届いた魚絵
 
林檎と絵手紙を送った5日後のこと…多忙の中で何時描くのだろう。
H12年5/5お店で美味しく頂戴した鮮魚「うまづら」を懐かしく思い出した。






果樹園見つめて一緒に作業
農作業 フアームサポーター みなさんの力に感謝 
   
   
みなさん個性があって、自然に心寄せられる温かさがあって日々を楽園にして下さいました。
気楽さをいただいて仕事は楽しく、晩酌、食事も和やか嬉しい時間でした。人生いろいろの苦楽です。教えられました。
    
    
    



建築の世界  2002、4/14多摩美術大学「建築に込められたコスモロジー」から…
「この人をみよ 人生果あり 二度ない人生」 日本を代表する建築家 毛綱さんが
            
アンホルメル美術館建設が話題にあがったころ毛綱さんに出会い紹介した

「今までの都市計画のようにガラス張りのオフィスや広場といった明るいシステムによるだけではなく
 もう1つの都市とでもいうべきもの(意識の宇宙)とつらなるブラックホールのようなものが必要では…」

毛綱さんの言葉を思い出す…

アンホルメル中川村美術館 …新しいアート宇宙
平成5年10月29日開館
伊那谷の小さな村、中川村。眼前に南アルプスの山々、眼下に天竜を眺める小高い丘。二科会会員故鈴木タカシ氏の夢実現の
ため計画された美術館建築群美術館棟、彫刻館棟、便所棟、シンボルタワーからなり建物群全体でひとつの建物
になるような不思議な空間構成。水滴形のホールはガラス張りむきだしのスチールの構造体自然と対立するかの
ように赤い色。自然に溶け込んでいながら確固たる存在をアピールしている
扇形や円形展示室、水滴形ホール方形の事務室、茶室、三角△トイレ。コンクリ、鉄骨、木造の構成。
固定観念から拓かれた未来空間、新しい「アート宇宙」 館は特別大きくないが、奥深く意広い。
 (開館日問い合わせ 中川村役場0265−88−3001)


近代的機能合理主義批判や展開を目指し斬新な発想による建築デザインで日本を代表した建築家
鋭さ、考重、創造的エネルギー、ユーモア、その人味、ほのかさに包まれた。
1985日本建築学会賞受賞、1995〜多摩美術大学教授、2001年9月、59歳で急逝される。
1989年毛綱さんの故郷生家「反住器」を釧路に訪ね巨大な釧路市立博物館建造に圧倒されて帰ってきた
    
毛綱さん作品 釧路市立博物館 1984                   釧路市立中学校 1986 南面フアサード

まずイメージがあってそれからものがつくられるように、都市農村や建物もそれに先行した計画があり、     
        イメージがあり、更にその以前に誰かによって夢みられていたはずだ。建物は生き物    毛綱さん語録から                                  




笑顔のみんなが・小りんごの木に集まる 
 



あり合わせのご飯に味噌汁、漬物に残り魚、忙しくお昼を無理して食べていただいた

「りんごは以前から食べていたが一度六識園を訪ねてみたかった」
こちらこそ思い出に残る時間でした。稲沢市の勝田さんありがとう







            「私たち結婚しました」…から 歳月を重ねて…
                 
尚ちゃん4歳大きくなったね(H16 11/21)
収穫の秋になると毎年のように南木曽町の掘航史さん夫妻が訪ねてくれる
尚ちゃんは、いろいろな葉っぱを拾い集めて元気に遊ぶ
チャボやウコッケイの動き、石にも興味を広げていた。六識園の遊学

        
(H17 11/13日) 一年ぶりの尚ちゃんは、相変わらずのやんちゃ、ワンパクだ。         H19
  もうすぐお兄ちゃんになるんだね。



リリエンベルグの横溝さん来 
果樹園を見て、りんごを見て、色、取立てのりんごを味わって下さった。洋菓子界では有名な人と後で聞いた。感謝。



熱心な目が果樹園を視る
   
小淵沢のセルクルさん                                         浜松のリンデンさん


和やかに今日明日を語る…蜂の巣とり味わう
 
                                               

同級生太田典子さんご主人と来
                   
                            

千葉県から中学生が来・泊 交流
 みんな友達
      




イタリアリンゴはどんな味? 
   

イタリア生まれの松村アレツシオさん(上前沢)から好奇心いっぱいの質問を受けた。
 「リンゴの木は何科なんですか?」 「消毒は多くやるんですか?」 「この木何年たつんですか…?」





おーい、頑張っているかい・・・

滋賀県竜王町川部定剛さん(中央左)との深縁で、滋賀県有線放送協議会の皆さんが長野研修旅行帰りに
寄られた。(H14)みんな砕けて和やかで元気。 大道団結、融和心いっぱいを感じる。

りんごをしゃぶり、「野ボケ」「梅」「山梨」などの自家製果実酒をみんなで飲んで情報発展を願った
数年前みえた「近江八幡JA」組合長さんの「近江八幡の組合員数は上、下伊那郡合わせた位ある」
の言葉を思い出した。





日々の好奇心
 親子で時を 郷土史研究家の小松谷雄さん親子
伊那山脈山麓の里を楽しみながら…郷土の自然と業を重ねる里人の貴重な価値を堀り続けられ…。
 
リンゴの木の合間に残る「かりん」 穫る思い出、作る楽しみが…
   三六災害で集団移住中川村四徳出身で駒ヶ根市在住の小松先生には有線勤務の折、何回も歴史のお話を
取材をさせていただいた。退職後園によく来園下さる。
中学校教員と云う職を離れられたの先生のお話や行動は教えられることがいっぱい。
中央南両アルプスの映える伊那谷の秘話
大田切の決戦」著を「ほおずき書房」から出版された(H16、7月)
学校だけが教育の本場、舞台ではないことを強く思う。




 




周りを見わたせば
 「ターシャ・テューダー」の世界みたい
  
家から少し離れた我が家の雑林に梅や栗の木など…。
山に育つ梅ノ木は古く消毒をしたことが無い。病害虫に強いから不思議だ。自然観深く心開放される。
消毒馴れした果樹園のりんご、ウメの木などは消毒を欠かすと忽ちまち病害虫化してしまう

なぜ免疫力が退化するのか薬効の弊害に注視しなければならない。


大鹿村の長崎健さん(写真左上) ドイツ生まれのウーテ・ボォルフさんサクランボ実る6月来
バライチゴや栗の木、大梅、中梅、小梅などの木を見て廻った。
ウメは色づき、果の健康実を感じる。無農薬の尊さも実感できる。


さくらんぼ収穫には、ウーテさんにも来て頂いた…
一粒一粒を見極めての収穫、和やかな内に時流れていった。


陽を受けて
 
ハウスでないサクランボは天然の美                             観光農園ではないけれど・・・           

サクランボの木の下で都会を離れて 東京から〜
 
板倉さんのお友達・・・                     



人魅力って何なのだろう 望岳荘売店前で五郎さん(右手前)      治子さんと談笑 声が聞こえてきそう    
     
人は誰も愛しく心寄せる、魅力感謝の人がいると思う
横浜の代田五郎.治子さん夫妻(従兄弟)は親父の代からよく声を懸けて下さる。
東京へ出向く時「寄ってって」の温温かく、いつも気楽に甘えてその楽しみをいただいている。
明るくて和やかで、ほのかな家庭。あぐらをかくと心まで座ってくる。
人、家庭魅力って何なのだろう。家の空気。自然体 手料理、雑談、何時も教えられることばかり。
一泊して代田家を離れる朝「今度は何時来れるかな」などと玄関で思ってしまう。
足早に中央道バス横浜駅までいつも送って下さる五郎さん。その感謝魅力の背中を田舎人間は今も追い続けている。






菊も林檎もみな土作りから     これ1本の
 
駒ヶ根市中沢、片桐義明さんの菊を見せていただいた。菊作りは我流だといわれる。(16 11/20)
見事な菊に驚かされた。特別力まず失敗の連続から今があると感じた。鉢中の黒い土ばかりに目が向いた
それにしても凄い。花の命尊しを思う







[芸術]    NHKテレビドラマ「三国志」「平家物語」などで知られる
      人形美術家川本喜八郎さんを囲む「桃園の会」

平成15年4月12日飯田市上郷「アートハウス」桜井さんの紹介で「桃園の会」(飯田文化会館事務局)
(43名)に仲間入りさせていただいた。会の目的は「人形表現の豊かさや多様さを学び、川本喜八郎さんとの
交流により、
芸の知識・創造性・感受性などを深める」とある。でも私は川本さんの人味、人物直視が第一だった。
川本さんの気取りのなさ、温かいお人柄と笑顔、芸への挑戦とチームワーク作り。静かな語りが優しく心に残る。
今年も嬉しい年賀状を戴いた。再会を楽しみにして…

H18 1/27飯田へ来  
  川本喜八郎 「華麗なる人形芸術の世界を語る
人形アニメーション『死者の書』  鑑賞会 飯田文化会館
                     声の出演 宮沢りえ 江守徹 黒柳徹子 岸田今日子ほか


   
 
 約800人集まる  トーク聞き手の竹田扇之助さんのお話がとても柔らかく もっと時間が欲しかった 
  

会後の飲席… 飯田市「ことぶき」                                      
 
人物人形、心はひとつ  厳しさ優しさ、感じ合える心…
新設H19オープン飯田市川本喜八郎人形美術館(飯田市本町1−2)
桃園の会事務局  TEL 0265-23-3594
訃報 平成22年8月 ご逝去 東京原宿於 偲ぶ会出席



           古木熱い
 
 「りんご」を手にして「はい、ポーズ」          さくらんぼ



              ユカリナの加納さん
   



 社会福祉法人 認知症高齢者グループホーム「 麦の家 」理事長  松本栄二先生、来
 笑いは緊張を和らげる。ユーモアは愛と思いやりの表れ…とかユーモアを交えて楽しく笑顔で語られる先生の魅力。
 福祉論を分かりやすく解説して下さった。
                  
     松本先生の言葉から…「かっこ良い老人は必ず物語をもっている」
       中川村がすばらしいと思えるような…若者と共に一緒に考えてみたい村の将来…
       
進む高齢化率 今のままでは人の世話になる補助金制は続かないんです地方負担と自治体組織の流れの中から
       「
未来若者のにも青春をたぎらせての明日の福祉を皆で考える意識、語りの場をつくってあげたい…」と、中川村塾の夢、を熱く語られた


福を呼ぶ…木下さんの一芸
人には誰も、その人なりの芸を持ちあわせている。ただ表に出すか出さないかのことである。
年明が明けて間もない正月、田島の木下広志さんが家を訪ねてくださった。
           正月祝いの宴となり、お神酒が入り、芽出度いおかめの踊りを披露してくれた。、福迎の芸である。今年は佳いことある如し。
人あって芸あり。熱き心、木下さんのエネルギーを強く感じた。楽しい人だ。感謝。
    

 「今日の空は雲ひとつ無くて…」
                    

たった一日の出会いだったのに
忘れられない出会いと悲しい別れ
 
                   樹園…カメラに               


H22


皮さらかじるは…美味しい食べ方
 

   



大国光の前で
       
HPを進めてくれた義兄…中村洋夫さんがパソコン仲間と豊橋から駆けつけた                高校同級生の塚原均くん  家族で…


感謝 別れ


新市将来構想委員会委員で、お付き合いさせていただいた駒ヶ根市の「伊勢喜」KK会長、
春日和郎さん
が宮田村「リンデン」菓子店の下平保弘さんと訪ねて下さった(H15)
言葉で云えないけれど、気取りなく心温かく魅力いっぱいの人。
委員会解散の席で「春日さんのような、お人柄、配慮性豊かな方が新市長になられたら、さぞかし、
ほのかな、和心豊かな温かい新市が生まれるのでは」と思わずの挨拶を乾杯の折させていただいた。
皆一同に「ほんとにそうだね」と言葉熱く口にされた。その春日さんが六識園に立っている。

平成17年2月18日の早朝、突然に下平さんから「春日さんが昨日遅くに亡くなった」と電話をいただいた。
振り返れば昨年16年の12月18日「誠に不甲斐ないが病にて気力か湧かず」との、お心便りを戴いた。
そして二十日の間をおき、病棟から私の留守中お電話も戴いた。闘病生活、苦しい自己格闘の日々だったのだ

長い人生の旅には心のひだとなるような喜びと悲しみ、出会いと別離の時がある。下平さんが電話で「亡くなる数日前、
春日さんを病室に訪ねた時、人は心だと云われていたよ」と聞かせてくれた。
24日安楽寺本堂での葬儀に下平さんと参列。

列者290人を超える大葬で静かな時の流れの中に何故か私の心は落ちついていった。残念で悲しいけれど、
時少なかったけれど、親しく尊い出会いをいただいて本当によかったと思う。
謹んで心からご冥福をお祈りいたします。 (H17.2/24)






  





時は流れる  県・有線OB会  H19
長野県で過去、有線放送業務に携わって人達の集まりにOB会があり中川村の望岳荘で会をもった。
帰りに六識園に寄り園の高台で記念写真を撮った。
安曇野市の加々美豊さん(写真右から3人目)は画家として活躍され親しく今もお付き合いさせて頂いている。 H23 1/10記





セキスイのハイム紙「四季」に紹介される


「おまえたちは、いいこだね」
 愛犬名「
ラン」アヒルは「ガーコ
ラン」はいつも「ガーコ」を守り仲良き友だった。  今は思い出




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写真への言葉添へ、表現などで尊重を汚したり偏狭未熟なことはお許し下さい。
感謝申し上げます   昭

六識園目次 村を見つめて 写真 りんご 絵画 平成20年 平成19年 愛猫物語


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