fo_top 令和4年

私のエッセイ ()

「エッセイ」の言葉を辞書で引いてみると、「自分の体験読書などから、自由な形で気
 軽に自分の意見などを記した散文〜随筆や随想」〜とある。
 よく果樹園などで作業をしている時、過去の思い出や、今の時代に思うこと、感じること
 、考えてしまう事、これからどうなるなど、いっぱい頭に蘇えってくる。
 そんな思いを綴った「私のエッセイ」、
 自分の単なる感情の放出にならないように気をつけます。

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8/1 生きてることが好き
今生きてることが花と云うけれど、この世に生を受けての70年余の早いこと。
よく友に面白く捉えて面白く行きたいねと口にしているが、そんなに単純ではなさそうだ。
只、深刻に物事考えても限がないから、クヨクヨすることなく進んでいきたいと思っている。
多くの出会いに感謝し、仕事も想像以上に面白く進んできたので、今は「生きてることが好き」気分。

6/17 絶え間ないロシアの攻撃〜〜苦になるメディアの軍事報道
メディア戦争とも言われている今回のウクライナへのロシアの侵攻の動き。
どこまでが確かな情報なのか分からないが、各テレビ局は日々臆測的報道を交え世を賑わせている。
ウクライナに対するロシア軍の一方的侵攻、何が理由でその目的が分からない。
が、悲惨な行為が日常化している動きは心痛い。
人間も動植物も全てが等しく自然界の中に生かされている。「ピーガンニズム」という生き物を殺さない食事を心掛
けるスイス国もあるようだが、それほどにいかなくても非道な争いの醜さを、メディアのニュース報道を見る度に何
とかならないものかと思う。
それにしてもロシア・プーティンは酷い。

4/18 人生変わった
村の有線放送に務めて37年、多くの人へのインタビューはとても勉強になり楽しく嬉しかった。
人生ドラマの生きるをあらゆるジャンルで聞き取りそれを全村に流すことの機会を得た喜び、そんな光栄はない。
朝まで番組を作ったことが何回有ったことか、それは辛くなく大きなやりがいで時が流れた。約30年村、村政の
動きに接することが出来たことはこれも又光栄なことだった。
退職をして後、村の議会議員を薦められ挑戦、12年務めたが、村の目線で地域のことを発信する議員に成り切れ
なかった。村政理念、思想信条が遭わず、何故リニアに反対なのか、国旗に何故礼が出来ないのか、先人宮崎
村政を知る自分にとって、村未来に夢・ロマンが感じられないこと、政治家の妬み僻み、欲の深さなど、絵を描く
人間には遭わない世界の様に診え12年で議員から離れた。
その後の人生は自然の中に身を置き、りんご経営に専念、家周りの庭木手入れを楽しんでいる。
日々多忙で、いくつになっても、今日が一番新しい日、残された有限の生涯を深く楽しく創造的に生きていきたい。

4/9 衝撃続く〜〜ウクライナ戦争
日々のニュースは戦争のことばかり。
何となく世界がおかしくなっているようにも思う。
誰も止められないロシア軍のウクライナ侵攻。
国連も頼りない絶望的な動き〜
それにしても、何故、この時期に〜プーチンがウクライナを突発的にか、戦争を始めたのか。
ウクライナの悲惨な戦状を思えば、核保有国独裁の中国や北朝鮮、ロシアに隣接している日本。
日本は大丈夫か?
自由と民主主義、平和な日本も、「明日は我が身」の事とも思ってしまうのだが〜。

4/9 無念・・・枯れた石神の松村の天然記念物だった
村が自慢だった樹齢推定400年の松が姿を消した。
松枯れ病なのだろう。今亡き郷土史研究家だった下平加賀雄先生は「石神の松」は村の守り神であり、常泉寺
との伝説を聞かせてくれた事を思い出す。
その松を忍んでか、今回「石神の松が花火となる」の紹介が新聞広告に出た。
村が主催か教育委員会が主催かは記載がないが、広告紙面には「花火が心を燃やしてくれる、新たな伝説に
なる、是非一緒に花火を〜」の案内があった。
その詳細には石神の松」の伝説が記されている。
私は思う。村の貴い財産でもある石上の松が何故枯れてしまったのか。
3年前に私はその「石神の松」を写真に収めたが、その折はとても元気で、説明案内や幹周りの植木等もう少し
工夫したらと思って帰った。
その時の写真を撮っておいて良かったと思っている。
村の名木松が何故枯れたのか、その対策はどうであったか、その他村に有る名木、古木の保存・管理を
村はどう考えているか、教訓にしなければいけないと思う。そして今からでは遅いかもしれないが、幹だ
けでも復元すればの価値があったと思っている。

4/7 深く楽しく創造的に〜
チエコ生まれで、村内桑原在住のイエルカワインさんは奥さんと二人の暮らし。
山深い桑原での生活30年を経過した。
ギリシャのヤギの毛を材料としたジュータンや織物、陶芸も熟しての、山中での暮らし、テレビのない暮らしと
聞いている。
日本の農村で暮らすその日々、お年寄りから学ぶことが多いとも話される。
日本文化の伝承〜日本の職人、大工さんや左官屋さん、板金屋さん、染物、桶屋さんなど、その姿が消える
動きに、永く私たちの暮らしを支えてきた、職人や伝統工芸など、今こそ守らなければ大変なことになる。
日常的なものに眼を添えて、深く楽しく創造的に生きていきたいと話される。
「深いところに心が踊る」生き方実践をされているイエルカさん夫妻、教えられることが多い。

3/15 幸せに対する意識=悲惨なウクライナ戦争
大正7年生まれの父は、生前ビルマ戦争に参戦、良く口にした言葉は、「戦争は有ってはならないのは当然
だが、自国が外部から襲われ殺され国が亡くなると思えば総力上げて国を守ることになる。
争いは話し合いで解決できると軽々に口にするが、現実はそんなに生易しいものではない」と聞かせてくれ
たが、ウクライナを襲うロシア戦で、その戦争の悲惨さ、恐ろしさ、現実の厳しさ、改めて父語を思い出す。
最悪事態想定
それにしても、日々、ウクライナ、ロシア戦の情報が、テレビ、新聞などの各メディアが報じているが、その現実は
1つなのに、ロシア、ウクライナの言い分は異なり、メディアの捉え方も、推測、臆測、情報操作などが交じり、どこ
までが真実なのか、テレビ各局の異なりが「情報戦」にも思えてしまう。
何れにしても、共産国、独裁政治は自由が無く恐ろしいことだあ。
3/11 人間のはかなさ、ちっぽけさ・・・11年が経過=東日本大震災
自然災害の脅威、大津波の恐ろしい現実をテレビ画像で見せつけられた思い出。
今でも、当時の震災の津波が押し寄せた場面は、ネットの記録で見ることができる。
目の前で家が濁流に押し流され、車や人も一網打尽に飲み込まれる惨状〜自然の脅威を思い知らされる。
被災に遭われた当事者の悲しみ苦しみを思うと、本当に気の毒に思う。

それにしても、東京や名古屋、大阪の大都会に限らず、海辺に暮らす人々のこれから〜災害への備えをどう
捉えれば良いのか、恐ろしい未知の世界だ。
3/10 切ってしまいたいが切れない=「スモモ」の剪定
植えて30年余、スモモの「貴陽」「太陽」は、なかなか難しくて実着きが悪い、
例年、もう切ってしまいたいと思うが、不思議なことに、冬の剪定期になるともう一年だけ剪定しようという気分
になる。
去年は何故か実着きが良くて、木も切られたくないの気持ちが伝わってくるような気がしてしまう。

3/7 「志を大きく希望を高く」
高校3年の時、何故か弁論大会に出ることになり、その折、考えに考えて、「志を大きく希望を高く」と題を
つけ喋ったことがある。それまでの自分は無口で人前で話すことも無く、必要もなく、勿論、生徒会の役も縁が
無かった。この弁論大会で3位だったと思うが、これもまた何故か分からないが、下伊那農業高校を代表して、
下伊那地区高校の弁論大会に参加することになり、自分の思っていることを人前で喋ることの大事さを知った。
そして今思うと、この弁論大会に出たことで、自分の生き方が大きく変わったように思う。
高校だけでなく、高校卒業後、東京農業大学の通信教育を志願、園芸課を終了した。
職場は農協勤務、絵が好きなことから放送に興味があるかと、当時の片桐組合長から聞かれ「面白そうですね」
と答えた事がある。その直後、有線放送主任の辞令を受け、保守と番組作りの道に移った。
当時農協の有線放送は、農協購買広告と営農指導の放送ばかりだったので、役場や学校、細田保健婦さんや駐
在所、村史研究家の下平加賀雄先生など皆さんが応援をしてくれ、村民総参加の自主番組やその日の話題を出
来るだけ心掛ける毎日となった。
今振り返ると農協役員からは何で農協がそれまでやる必要があるのかと促され問題となったこともあるが、組合
長が思ったことをやれと応援してくれたので、前向きに日々楽しく働けたことを嬉しく感謝している。
そして有線特に女子職員が本当に頑張ってくれたこと、南向・片桐有線が合併後、金山主任が理解してくれたこと
が大きく、昭和49年の全国有線放送自主番組コンクールで、「心のふるさと四徳」が最優秀賞を受け、農林、郵政
各大臣賞をもらったことがその後の大きな励みになったと思っている。
その有線放送を通時て自分自身も600人以上の多くの人達にインタビューが出来、その音の記録は、声財産とし
て、自分の心の財産だとも思っている。
東京農業大学での楽しかったスクリーンや、昭和51年のヨーロッパ8か国の研修視察、そしてその折の外から見
た日本の素晴らしさを実感できたこと、絵心で海外の風景を味わえたこと。
それらを振り返ると、高校時代の弁論大会のことがいつも甦ってくる。
で、現状の「志を大きく、希望を高く」は〜
私で3代のりんご園を守ることと、日本一のりんご園を目指すこと。

3/5 今日は何を〜「ホームページ・心の風景」
毎日動く心模様〜その日の出来事や心に感じたことをHPに記しているが〜。
果樹園での作業中にはトランジスターは欠かさない。変わりゆく自然界、空の色や雲の動き、草木の変化、小鳥た
ちのさえずりや、ラジオに流れるニュース色々〜。
今日は何を〜そんなことも思いながらの日々が続いている。

3/4 言葉は通じなくても〜気持ちは通じる=猫のタマ
愛猫のタマは我が家の同居人、野良猫で4年前我が家に居ついた。
器量は悪いが、鳴き声優しく頭が良くて家族みんなに可愛がられている。特徴は温かいところが嫌いで
コタツには入らないしストーブを嫌う。寝るときは布団に入らず、与えられた座布団の上で眠る。
変わり猫といえば、猫本来のネズミを全く獲らない。獲らないというより獲る腕がないようだ。ところが特技は
野鳥のヒヨドリやキジを獲ることの腕が良いので困る。そして家の壁で爪を研ぐのかこれだけは止めてほしいが
猫には罪がない。とにかく地球の中には沢山な命がある。神様が与えてくれたのか、猫とのご縁を大事にしてあ
げたい。

3/3 醜い(みにくい)戦争=何故ウクライナは襲われたか弱い国だから
早朝5時45分、、ラジオを付けたら、SBCの「生島ヒロシのおはよう一直線」番組で、小野寺五典元防衛大臣が
ロシアのウクライナ侵攻について話をしていた。
「普通の暮らしが一番幸せ」を改めて思う。
共産国〜・独裁者、ロシア連邦のプーティン大統領は恐ろしい。

2/28 思い出す50年前=連合赤軍、あさま山荘事件…終結
50年前の今日、「あさま山荘事件」が終結した。
あの平和の時代に、なぜ当時の学生たちが武装闘争事件を起こしたのか。
その恐ろしい事件を、テレビは延々と一日中中継し、視聴率は90%を超えたといわれている。
自分は丁度25歳、、東京代々木のオリンピック村宿舎を会場に「有線放送保守資格研修会」受講中で
その研修室から抜け出し、テレビ釘付けでの時間を過ごしたことをしっかり覚えている。
当時の学生は「ベトナム戦争をやめさせる」「世界戦にさせない」などと、短絡的で、はっきりしているのは
先生や現世をつるし上げて社会を変えてやるんだとの意気込み。
当時事件に加わったカトウミチノリさん(17年の刑期を終え)は、過激な暴力行為、リンチや殺人を正当化する
自分勝手なものだったと28日朝のNHKラジオで語っている。
この「あさま山荘」事件・現場には同級生の伊藤政一君が長野県警勤務で出向している。

2/25 驚き・脅威、ロシア・ウクライナ侵攻…全土へのミサイル攻撃=首都空爆
ブーチン・ロシア大統領(共産圏。独裁国家)が、ウクライナ全土へのミサイル攻撃を実行した。
なぜ武力行使か〜その振る舞いが理解できない。
「戦争反対」は誰もが願い口にし言葉では簡単。
話し合いで解決できると日本でのある野党は口にするが、自国が突然に理由もなく襲われ、身に危険を
感じれば、死を恐れず自国を守る動きは〜ウクライナ国民の自国防衛の動きから、現実を見せつけられた形だ。
日本の平和ボケ、戦争はいつ起こるか分からない。
2/18 リニアバレー構想=伊那谷自治体会議=変化に応じた新たな視点での取り組み議論
中川村でのリニア対応の話題は余り聞かれないが〜。
リニア中央新幹線整備を地域振興に活かす「伊那谷自治体会議」が、18日開かれたと「南信州新聞」が報じた。
それに寄ると、2016年「リニアバレー構想」が伊那谷全体の地域づくりの指針として作られ、今回はその後の社
会変化を踏まえた新たな視点での議論が行われたというもの。
素案は、@コロナ禍で加速した地方回帰の潮流を地域の持続的発展につなぐ、
     A
DX推進
     B
脱炭素社会の実現。
DXでは水力発電建設、、伊那市の自動運転やドローン配送、飯田市の駅周辺スマートグリッド、大学誘致など
意見交換、幾多の提案が出されたという。
中川村では、村の振興策に排土利用を求めず、地域改革のチャンスを逃した感がして、とても残念。

1/28 「尊重を汚しました」の意味
自分は、公文章などで気軽に書き物をしたり、又、人前での挨拶を求められた時の結びに、「尊重を汚しました」と
記すようにしている。
すると、先方から、この「尊重を汚しました」の意味は「どういうことか」と聞かれることが多い。
昔、40年ほど前、上片桐の随応寺で「晋山式」があり、そこには山田無文老大志や年配の方が多く、式後のお礼の
最後の言葉に、若住職が発した言葉が「尊重を汚しましただった。
その言葉を聞いて、私が思ったのは、自分が若い身で未熟なのに大勢の前で挨拶をさせて頂いたことへの謙虚な
気持の表しに思え、感銘したこと〜。
なので、公式先輩の多き時の挨拶や公文書など、「尊重を汚しました」の言葉で事収めさせて頂いている。

R4 1/5 「血」や「心」につながる「故郷への思い」
三六災害で全戸移住を余儀なくされた「四徳」の地」は700年という古い歴史があった。
その「四徳」に生まれ育った小松谷雄さんの語りを収録したことがある。
(小松さんは教員としても、南向中学の校長を務められ、郷土史研究家としても努力された人)
平成9年6月に有線放送で「四徳村のあった頃」と題して話をしてもらった。
その折、教員上がりの先生なので、綿密な調べの中に私情も含めての話を落としてくれた。
晩年には私の家にもよく来て下さったが、「血や心につながる故郷への思いが強く、もっと語りたい心境が
お会いするごとに感じられた。
「声宝 人財産」取材をしておいて良かったなと思っている。

1/3 野兎(のうさぎ)はどこに〜
最近は家周りの山に入ったことが無いが、里山の自然が大きく変化していることを思う。
まずは、野兎が姿を消したこと、ハクビシンや狸も見られなくなった。
20年ほど前の防護柵の効果が大きく、鹿やイノシシ、サルなどの被害も激減し助かっている。
鳥は、ヒヨドリに変化はないが、スズメやツバメの減少を感じる。
それと鷹やトンビが増えているのは何故なのだろうかと思う。
天竜川や小川はコンクリの堤防やU字溝などで埋まり、農薬使用の為か、ドジョウやメダカ、エビなどが全く見られ
なくなった。
アユは天竜川への稚魚放流があっても鵜やアオサギなどが食べ尽し壊滅状態、「天竜川の釣り天狗」は姿を消し
た。天竜川の漁業組合はこの変化をどう捉えているのか?何故手を打たないのか放置状況に疑問を思う。

令和3年つまらなかった〜「NHKの紅白歌合戦」
年代の相違か、時代の変化か、「紅白歌合戦」は全く面白くなかった。
若者視点のNHK企画か?演歌が特別好きとは思わないが、次から次騒ぎまくるような現歌にはどうも馴染めない。
これが「令和の歌」「心の歌」愛唱歌として後世に残れば良いが〜。NHKの真意が分からなかった。
視聴率の動きが興味深い。


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