fo_top平成24年
                         
    デジカメ日記 (3月)
  幼稚なもの たどたどしいもの 素朴なもの 生活に即したもの ありのままのものにいかにひかれることか
      魅力とはそうしたものだ 泥くささの中から 貧しさの中から 台所の隅から はきだめの中から真実が生まれる 

3/30 剪定
六識園から下界眺める。
見直し剪定を進めると花芽が大きく膨らみ始めた。

3/30 野菜畑・耕運作業
自作の野菜ほど味わい深いものはない。が草との戦争は消化が大変、毎年負ける。
約、8アールの野菜畑。りんご作業に年中追われて楽しむところまでいかない。
大型トラクターで耕してもらった。


3/29 平安堂書店…探訪・・
夕方、飯田方面に行くと、必ずと云うぐらい本屋さんに立ち寄る。
世相の流れを店内に感じ、ストレス解消にもなる。本は人生(著者)出会いの窓と思っている。

政治家・田中角栄に関心があり、過去、飯田市にも来られた親しみ感もあって、越山会の女王と呼ばれた、佐藤あつ子娘の著本「昭」を買った。
 もう一冊は、東京でお会いしたことのある曽野綾子の私日記、「飛んでいく時間は幸福の印」は、毎日の私記録にも役に立つ。
  
頂いた田中角栄の色紙   「末ついに 海となるべき山水も
                 しばし 木の葉の 下くぐるなり
」 越山 田中角栄  
政界は、渦巻き流れる駆け引きの舞台でもあるようだ。
角栄、飯田市来の講演では、小沢一郎も多くの政治家の中にいた。
当日現場を目にしていないが、その模様を、後にテープで何回も聞くことができた。
 ある人から、その折の角栄の色紙を頂き、以来ファンとなってしまった。
小沢一郎という政治家は、筋も通り一貫性あり決断も利き歴史に残る大政治家だと思っている。
メディアが追うほど金権私欲、嫌われ、悪の人ではないと思うのだけれど…。
目先の私利なのか、選挙意識過剰か、周りを見渡し意思貫く責任ある政治家は少ないと思う。
人の噂はその当人に直接会うことが確かで、H21年飯田市来の折、気取りのない照れ屋の一面を見、聞きした。混世に政党是非だけに固まらず、どんな問題にも両極があると思えば、双方に耳傾けることが大事ではないかと思う。

曽野綾子・著、の結び文は・・
「このところテレビを見るのが嫌になってきた。
 
皆が、被災地を慰め、元気付けるのだと、アートや音楽、文学・・など。
 自分の真心を、他人も同じように評価すると思っているが、人道的な行為に自分が酔っているだけの場合もある。
  被災地を救えるのはお金が大きい。お金の無い人は少しも悪ではない。
 人が他人を、真心やお慰めくらいで簡単に救えると思う方がずっと大きな間違いをしでかすだろう。

 震災以来、津波で壊された郷里だけが良くて、都会や他の土地に行きたくない、それは不幸だと言う話ばかりになってきたのも困る。一面本当だ。東京では狭いアパートやマンション暮らしだが、田舎にいれば、海は近く緑の山もすぐそばだ。
 しかし、田舎には田舎の嫌さもあったのだということを、どうしてすぐ忘れるのだろう。
 田舎では、すぐ他人の干渉をする。ものの見方が狭い。
 その点、都会は限りなく自由だ。誰が何しても法に触れない限り許される。素晴しい人にもたくさん会える。
 それが魅力で東京に出たがる青年が後を絶たなかったから、過疎の問題が起きていたのだ。
 この際、そういう点を全て忘れているというのは、余りにも身勝手だと言うべきだろう……」

 
 うーん、なるほど、考えさせられることもありそうだ。

3/28 SS点検・消毒準備
春先の消毒が間近い。オイル交換など総点検をしてもらった。

3/22 又出会いたいと思う人
「幻の花」と云われる大鹿村の「青いケシ」を口にされる東京の板倉利光さんが、突然家に立ち寄って下さった。
奥さんが眠る墓石の前で 小川さんがフルートを奏でる
今亡き板倉さんの奥さん(章子さん)は、大鹿村に咲く神秘的なケシの花に魅せられて、毎年6月の頃、ケシを求めて来伊を重ねられたという。
2006年、66歳で他界された奥さんが、それより1年前、六識園をご家族で訪ねて下さったことがあった。
収穫の秋、真赤く色付いたりんごに奥さんの大きなカメラが動く。そしてその経った数時間の思い出が縁で便りの交換が始まった。レター用紙に写真を添えて自然や旅に触れた感動の記事が綴られてきた。
病身の御身であるのに常に明るくそして強く前向きに生きられた奥さん。
東京での御葬儀に参列させていただいた。そして弔辞の縁もいただきそこで感謝とお礼の気持ちを述べた。
その折がご縁で、奥さんの友だちが、東京から大勢この六識園を訪ねて下さった。
人思いの奥さんに、多くの心の友のいることが改めて分かった。奥さんに会えたかのように、園では、皆さん輝いていた。

               章子さんの心の友達 リンゴ園に・・・
板倉さんは、奥さんの願いを受けて、翌年中川村の飯田線に近い処に墓地を求め、自筆による石碑を建てられた。  「 美しい自然と雄大なアルプスの山々につつまれ 板倉章子旅立つ
                  
二〇〇七年二月三日 六十六歳妻慕う 板倉利光
 」

 
          奥さんの石碑                  奥さん               板倉利光さん
当時を偲び、板倉さんは亡き奥さんの思い出を熱く語られる。
「 弱音をはかない。視点鋭くいいアイディアをくれた 」「こそくな事はさけ、曲がったことは大嫌いであった」「一つの問題が出ると幾つもの選択肢を出しズバット判断する私利私欲の無い人だった…」と。

だから章子さんは、多くの心の友に恵まれ、みんなに好かれたのだと思う。

3/11 サル群団・・ギャーギャーと
防護柵が出来てからしばらく姿を見せなかったサルの群れが凄い勢いで柵を難なく越え園地に入ってきた。
近所の果樹園でのことで、サルへの柵効果は全く無い。
車を近づけても一向に逃げる気配を示さない。群内喧嘩を目の前に披露してくれて松山に消え去った。
群数は25匹以上。それにしても今まで鳴き声一斉無くどこに屯っていたのだろうか。

    近所の防護柵  サルは難なく乗り越える
3/10 朝雪舞い積もる
陽気転々・・今朝は雪舞い寒きだった。10時頃から雨模様に変わった。
 
     雪から雨へ                             雪を受けて可哀そう クロッカスの花

3/9 春そこに…梅の花
玄関に、さちの挿した梅の小枝が花を咲かせた。りんごの白い花も綺麗だが梅の純白も鮮やかで美しい。
室内なので咲が早いのかと思ったら、家山の梅の古木も満開だった。
しとしとの小雨模様に春近しを感じる、夕食にフキノトウ味噌が美味しかった。

                 玄関

3/8 飛行士だったらなあ・・・
午後の2時半過ぎ、余りに空が煩いので外に出てみたら、家の上を自衛隊の飛行機がしばらく旋回していた。
時折そんなことがあるが上下伊那郡境を意識した旋回にも思えた。駒ケ岳の上から松川高森、中川飯島を円形に旋回、訓練か?…飛行士だったら空を舞えるのになあ…などと羨み空見上げる暫くだった。

             アルプスの上を

3/6 これが内発的なのか? 「アトリエ展」に向けて・・
5月5日~6日の「村内・アトリエ展」に参加させていただくことになった。
参加者は11人と云われる。企画の法嶋さんがデザインされた「チラシ原稿」が届いた。
最近は、絵を全く描いていないので、果樹園を開放しての自然と、過去に描いた我作少々から展示をさせて頂くことにした。 自然やりんごの木には、教えられることがいっぱいある。楽園でもあり苦しみの部分(経営持続)もあり「自然と共に」の心境でもある。
果樹園の高台に立ち下界大界を見渡せば、きっと心も大きく大らかな気持ちに…そして「自然の中に人間が生かされている」を感じていただけると思う。
六識園は、5月サクランボやリンゴの花が一斉に咲き始める。春の香いっぱいの時である。

3/4 えつ・伊那谷リンゴ…産地に黄信号だって…
県の環境保全研究所(長野市)が県内に起こりうる農業や自然分野の中に、リンゴの栽培適地が標高の高い場所に移り伊那谷一部が適地から外れると大きく記事に出た。
温暖化の影響に基づく予測で、現在でも標高の格差により味・果質に影響が出ている。
伊那谷危機となれば深刻とも捉えられるが、新たな品種や果物、作物が展開されれば適地適産が移行する状況に至る。
六識園は高台なので今のところ影響ないが、南面の陽射しを強く受ける環境にあるので、剪定や施肥、消毒、着果位置など心して生産技術の工夫を図らなければならない。
 
      日報記事~                               今もパリパリ硬い「ふじりんご」

3/2 石塚さんの「アップルパイ
私が作った…と夜、石塚さん主人が「アップルパイ」を持って来てくださった。
食べる以前に作る楽しみと工夫…ふじリンゴの「アップルパイ」は初めてのことで、とても興味深く美味しく戴いた。手づくりの味はやっぱりいい。感謝。


3/1 トラ元気快復よかった
人間で言えば歳100歳以上、猫のトラが元気になってくれた。風邪気味か食欲なく物食べず老衰かと一時は諦めかけていたのに、鳥刺チーズで元気快復よかった良かった。





 ・ ・ ・  

Page Top



この改行は必要→
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送